写真は語る(8)---完成迫る干拓事業
富永 健司(諫早干潟研究会代表)
1990年7月から1991年3月までを試験施工期間として、南部側720メートル、北部側330メートル、湾中央に200メートルの潮受け堤防の試験施工が始まった。河川法等による、九州地方建設局の許認可に基づくものである。そして、1997年4月、国民注視の中で諌早湾干潟への潮流が遮断された。この間、わずかに7年である。
1998年に入り、広大なかつての干潟では、内部堤防の地盤改良工法が開始された。その一方で、東西幹線工事用道路の建設も始まった。2000年とされる全体工事の完成が近づいた感じだ。
ところが、営農計画は未だ定まっていない。常識的には、目的があって事業が開始されるはずだが、干拓そのものでは、目的が不確定である。潮受け堤防建設が防災を主目的としたものであれば、目的を達成した際は、明確な目的のない二次的な干拓は思い切って休止すべきだろう。1970年以降農業情勢は激変し、時代の要請は環境保全である。干拓は小規模にとどめ、環境保全事業へと転換すれば、国民の理解は得やすいだろう。時代閉塞のなかで、政治はいまこそ、その機能を果たすべき時ではないのか。
*イサハヤ干潟通信第8号より転載*