さて、前回小野・森山が地峽部故に恒常的に水不足の地帯である、というお話をいたしました。それではこの地域の住民の方々はこの水不足にどうやって対応してきたのでしょうか。それは小野・森山の水田地帯に立ってあたりを見回してみればその工夫の成果がたちどころに眼に飛び込んできます。そう、この地域の干拓地の水田には畦がないことが多いのです。いわゆる小野・森山の畦無し田という特異な景観がこの地域では支配的なのです。 畦は水田を細かく仕切り、水の動きを制限することで、水田のきめ細かな水管埋を可能にします。例えば古代の水田の中には一つの水田地帯を猫の額のような小さな区画に区切って細かい水管埋を行おうとした例すらあります。小野・森山であっても丘陵地の谷間に営まれた水田や、初期の小さな入り江を仕切って営まれた干拓地の水田では谷水や、丘陵のすそ野からの湧き水に依存して比較的潤沢に水が手にはいるため、畦で区切られた水田が営まれてきました。しかし、江戸時代に干拓地が入り江を形作る岬の先端を越えて広がり出すと、たちどころに水不足が深刻となっていったのです。耕地が後背地に見合う量を超えてしまったのです。そうなると、もはや悠長に一家族ごと、経営体ごとの個別の水管理などという悠長なことは言っていられません。そのため、魚の鱗のような形の干拓堤防に囲まれた個々の干拓地は内部を畦で区切らずに共同水管理て維持されるようになったのです。

 それではこの地域の水管理の方法について述べてゆきましよう。

 干拓堤防で囲まれた個々の干拓地の内部には、丘陵から海に向かって延びる縦水路と、干拓堤防のすぐ内側を裏打ちする横水路が切られています。これらの水路は、干拓地てあるならばどこでも見られるものですか、水の潤沢な地域の場合、かんがいの主力になるのは山から水を運ぶ縦水路で、横水路は通常、いったん田を潤して水質が劣化した「悪水」溜として、稲から「悪水」を隔離するために用いられています。また、その干拓地が干拓前線に位置し、海に直接面している場合は、この横水路が淡水と海水の緩衝地帯として稲に海水がかかるのを防いでいるのです。

 ところが、水源に乏しい小野・森山ではこれとは異なった水管理が行われています。干拓前線の干拓地における横水路の機能は前者と同じですが、それ以外の干拓地におけるかんがいの主力は実はこの横水路なのです。畦無し田の内部は横水路に垂直な細い短冊(たんざく)状の所有区画に分かれており、それは両端の杭によって示されています。そして、水役さんによる下手(しもて)の樋門のコントロールによって水路網全体の水位が上昇し、横水路のふちから水田面に水があふれることで水が稲にかけられるのです。排水の時も同様に水役さんが樋門をコントロールすることで水路網の水位が下がり、水田の水が横水路に引き込まれるのです。つまり、畦無し田のかんがいは、下からかけて、下から抜く、という特異的な方法が用いられているのです。また、こうしたかんがい方法を採る以上、この地域のかんがいのためのダムの役割をするのは干拓地に張り巡らされた水路網それ自体であり、丘陵地から供給される水はすんなりと海に流れ込まないようになっています。つまりこの水路網は、一旦くわえ込んだ水はなかなか排水されないような仕掛けになっているわけで、雨水トラップとも言える代物であるのです。それ故に少しでもよけいな雨が降ると、この地域では冠水被害が繰り返されてしまうのです。

 今述べたのが、前回述べた「水がないから水が溜まる」という逆説に満ちた表題の理由です。小野・森山では、「水田の排水をよくしたい。でも水はけをよくしてしまったらかんがい用水が足りなくなる。」というジレンマに悩まされてきたのです。

 さて、次回はこうした水にまつわるシステムかこの地域の社会にいかなる影を落としているか、ということについて考察してみたいと思います。

 *イサハヤ干潟通信第5号より転載*


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