今年を振り返って
諫早干潟緊急救済本部 代表 山下弘文
1997年とは一体どんな年だったのだろうか。政治的には鳴り物入りで始まった行財政改革を中心に、数々の政治的な出来事があった。もしかすると今年は21世紀を迎える日本にとって、最も変化の激しい年だったと位置づけられるのかもしれない。
4月14日の諌早湾干拓事業潮受堤防の締め切りを契機に、公共事業に対する国民の厳しい目が向けられた。戦後初めて公共事業そのものに国民の目が向き、メスが入れられたのだ。このことは一過性のものであってはならないだろう。
この8カ月間、多くの人々との出会いがあった。しかし、私にとって最も衝撃的であったのは官僚と言われている人々との出会いである。各省庁で官僚の人となりはそれなりの特徴があって興味深い。その中でも農水省構造改善局の官僚は特異な存在であると言えるだろう。出て来る言葉の一つ一つが、私を驚かせた。常識も科学も通用しない世界が厳然と存在することに驚かざるを得なかった。一体、こうした異星人とも言える人々と、どのような手段で意志疎通を図ったらいいのだろうか?
日本の公共事業は、一旦、走りだしたら止まることを知らないと言われているが、全くその通りである。時代の変化も、社会情勢の変化も全く関係がないかのごとく膨大な税金を浪費する事業だけは継続される。このような日本の現状は異常である。
民主党が先の通常国会で提案した公共事業コントロール法案は廃案になった。しかし、公共事業をチェックするNGOの会も参加して立案されたこの法案は、何年かかっても成立させる必要がある。公共事業そのものが国会で十二分に論議され、その必要性を国民の前に明らかにすることが必要だ。そうしないと諌早湾干拓のような取り返しのつかない自然破壊は今後とも各地で続くことになるだろう。
思いがけない出会いもあった。野党各党の議員のみなさんである。一致結束ができない日本の政党関係の中で「諌早湾を考える議員の会」に参加していただいている議員のみなさんとの出会いは新鮮だった。結成をお願いしたとき、私は「小異を捨てずに大同についてほしい」と二度にわたって述べたが、ことわざの言い間違いではなかった。干拓問題に関しても政党それぞれの考え方がある。当然のことであろう。意見の相違がある各党のみなさんがたに結束して問題を解決してもらうためには、水門を開放するという、どの政党にも当然の目的で結束してほしかったからである。参加されている議員のみなさんは、すべて個人の資格で参加していただいている。こうした事は今後の日本の政治を考えるうえで画期的な出来事であったと考える。
今年の大きな出来事の中で、京都で開催されたCOP3も重要な国際会議だった。地球温暖化の問題がこれほど国際的に論議されたことは初めてのことだろう。しかし、この問題の裏に隠されている事柄にも目を向ける必要がある。温暖化を主張している学者の大部分が十数年前には寒冷化の研究に取り組んでいたことを忘れてはならない。地史学的には地球は寒冷化に向かっている。それがなぜ温暖化傾向にあるのか、考えてみる必要がある。人類は生物の一員であると言われるが、もう生物圏とは掛け離れた存在になり、「人圏」と言うべき新たな位置を占めつつあると考えられる。その人類の活動が地球の寒冷化を押し潰し、温暖化を急速に進めている。
こうした様々な学者の中で、諌早湾問題を科学的に追求していただいている諸先生方にも頭が下がった。社会科学、自然科学それぞれの立場から、明快に問題の本質を突いていただいた先生方の努力を見ていると、心強い思いがした。また、30万名にも及ぶ署名を短期間に集めていただき、多くの支援金をお送りいただいた、全国のみなさんがたにも深い感謝の気持ちを伝えたい。こうした多くの人々の協力なしには運動の継続などできはしない。
私たちの干拓見直しの運動はまだ緒に就いたばかりである。来年もよろしくご支援とご協力をいただくよう、お願いしたい。さて1998年はどんな年になるのか、興味深い。
*イサハヤ干潟通信第4号より転載*