諫早干潟緊急救済本部・東京事務所(文:菅波 完)
■年初から諫早問題が急展開! 今年1月1日、諫早湾は、漁業者による海上デモとともに21世紀を迎えた。 この日、福岡、佐賀、熊本の3県の有明海漁連の有志、約800人が約200隻の漁船に分乗して諫早湾の潮受け堤防前に集結し、「宝の海をかえせ」「干拓工事を中止せよ」と激しい抗議行動を行った。この冬は、養殖ノリの生育が極めて悪く、黄色く「色落ち」する減少が有明海から八代海にまで広がっており、諫早湾の閉め切りと調整池からの排水が、これらの漁業被害の原因だとして、ついに漁業者が立ち上がったのだった。 13日には再び潮受け堤防前に約300隻の漁船が集結。22日には3県の漁連が正式な抗議の申し入れを行い、28日は3県の漁連と長崎県内の一部漁業者を含め、約1500隻、6千人規模の抗議行動に発展した。諫早干拓の前身である「長崎県南部総合開発計画(南総)」は、かつてこの3県の漁業者の猛烈な抗議によって中止に追い込まれたが、今年に入ってからの漁業者の動きは、南総中止の当時を思い出させるに十分である。 これらの漁民の動きを受けて、全く予想もしないところから問題が急展開した。 1月23日、谷津義男農水大臣自らが有明海のノリ不作に関連して「(諌早干拓の)堤防閉め切りが原因なのかを含めて徹底的に調査する。調査結果によっては、水門を開けて調査するのもやぶさかでない」と語ったのだ。この後、与党各党も党内にノリ不作対策本部を設置、幹事長が現地を視察するなど、有明海の漁業被害と諫早干拓の関係が、重要な政治課題に急浮上した。 これに対応し、NGO側としても、急遽別記の要請書を用意し、1月26日に5団体の連名で農水大臣、環境大臣宛に提出した。 ■タブーだった水門開放が現実的な視野に これらの動きの中での重要なポイントは、「水門開放」がタブーではなくなったことだ。これまでの農水省は、一貫して「農業用水の利用(→調整池の淡水化)」と「防災(→調整池の水位をマイナス1mに保つ)」のために、水門の開放は全く想定していない、と説明してきた。 防災」については農水省の事業としては目的が筋違いだし、効果が不完全であることも、既に明らかになっている。にもかかわらず、我々の事業見直しの声に対し、事業者側は、諫早大水害までを持ち出し、「人命軽視」だと言わんばかりの反論(ほとんど恫喝)をしてきた。それほど堅く閉ざされていた水門を開放することが、農水大臣から与党幹部まで巻き込んで公然と議論されることなど、以前では全く考えられなかったことだ。 諫早干拓の目的たる、農地造成・防災は、既に事実上破綻しているのだが、これまで不当にハバをきかせてきた事業推進側の論理が、いろいろな意味で「力」を失ってきたことは確実だ。 ■諫早干潟の回復が有明海再生の条件 当面は、「ノリ被害と諫早干拓の因果関係」がニュースの中心になりそうだが、因果関係の究明は、一筋縄では行かないし、被害に対する対処療法では、有明海の漁業は回復しない。有明海に環境悪化要因は、筑後大堰や熊本新港の建設、三池炭坑後の海底陥没など複合的で、諫早干拓だけが悪いというわけではないのも確かで、対策は、有明海全体の環境回復を視野に検討しなければならない。 しかし、何よりも、私たちが忘れてはならないのは、かつて諫早湾は「有明海の子宮」と呼ばれ、豊かな海の幸を育み、水質浄化に極めて大きな役割を果たしていた、という紛れもない事実だ。「宝の海をかえせ」という漁業者の実感にこそ、真実があるに違いない。諫早干潟の回復なしに、有明海の再生を考えることなどできないのだ。 ■諫早干潟は再生できる! 「潮受堤防の内側は、干上がって膨大な生き物が死んでしまいましたが、50センチも掘れば昔の干潟の土そのままなんです。ゴカイまで出てきましてね。」「排水門を開放すれば、1年から1年半で7、8割の生き物が帰ってくる」「3、4年で元の干潟に戻るでしょう。」 昨年七月、突然、帰らぬ人となってしまった山下弘文さんは、亡くなる二週間ほど前に、テレビの収録で作家の立松和平氏を案内し、いつもの笑顔で諫早干潟再生の展望を語った。 幸い、潮受堤防内部の多くの部分は、干上がりはしたが元のガタ土が残されている。そして何よりも、諫早湾には最大5メートルもの潮位差があり、水門を開放すれば、毎日2回、海水とともにプランクトンなどが諫早湾から堤防内部に流れ込み、また潮が引けば、ガタの表面が空気に触れる。かつて約3000ヘクタールの広大な干潟を育んできた大きな自然の仕掛けはそれほど変わっていない。 確かに、全長7キロの潮受堤防に対して、現在の水門は二ヶ所合わせて250メートルで、この水門だけでは、海水の交換は不十分だとも言われている。それでも、何年かかるかはともかく、水門開放により、干潟が回復すると言うことは、多くの科学者から指摘されてきたことである。 この様な科学者などの意見を聞き、また周辺漁業者の方とも相談しながら、干潟を効果的に再生させる方法を見極め、提案していくことが緊急の課題となっている。 私たち人間が潮受堤防を開ければ、後は、自然の力が干潟を再生してくれる。人間の犯した過ちに対し、自然は何と寛容にも、未だに、やり直すチャンスを残してくれている。こう考えると、自然の力と言うものに、改めて感心せずにはいられない。 ■「小異を捨てずに大同につけ!」 農水大臣の発言や議員の動きの背景に、7月の参議院選挙があるのは間違いない。「ノリ被害の対策として、海底の浚渫が必要だ」と言う動きもあるが、ここには建設業者の思惑が見え隠れする。それらを全て否定する必要もないし、漁業被害の問題解決に向けては、漁業者の方にも立場の違いがあるかもしれない。 「水門が開くまでが序盤戦。水門が開いてからが本当に大変になる。」と、山下さんは常々口にしていたが、水門開放が現実味を帯びるに従って、確かに問題は複雑になってきており、その展開も速まっている。だからこそ、「諫早干潟の再生」という私たちの目的をしっかり確認した上で、多くの市民や、漁業者、科学者等と、考え方や戦略の違いを乗り越えて連携し、多様な運動を展開しつつ、行政、政治の世界での問題解決に踏み込んでいかなければならない。 * * * これまで運動の先頭を走ってきた山下さんが亡くなり、諫早問題への取り組みは、多くの人が手分けをしたり、協力したりしながらやっていかざるを得ない状態になりました。 皆さんにも是非、諫早問題の動きに注目していただき、積極的にご参加、ご協力をお願いしたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
(2001年1月30日) ※写真はすべて1月28日の海上デモと支援行動