諫早湾干拓――水門開放まであと一歩

山下弘文(諫早干潟緊急救済本部)

 諌早湾3550haが293枚のギロチンにより閉め切られ、早くも2年半が経過した。この間、国内外からの厳しい批判や抗議の声が上がったにもかかわらず、いまだに排水門は開放されず、干潟は回復していない。もう諌早湾干拓問題は終わったのだろうか。決してそうではない。干拓事業は完全に行き詰まっている。

 諌早湾開発に関する3回のアセスメントがある。基本になるのが1万haの開発を目指した南部地域総合開発計画(南総計画)だが、この予測のほとんどが学者の調査研究の結果を改ざん、改悪したものだった。農水省の縮小案は「諌早湾防災総合干拓事業」と銘打ったため建設省が参入、現在設置されている北部排水門が新たに計画に入り3度目のアセスが実施された。防災が専門である建設省が介入したのはここまでだった。昭和63年、県民が知らないうちに「国営諌早湾干拓事業」と変更された。平成元年の起工式の時には農水省も県もこの事業がまったく水害対策にならないことを知りながら、工事に踏み切った。しかも縮小案を検討すべき最も重要な諌早湾防災対策検討委員会の中間報告書は無視され、科学的な検討を加えることなく、足して2で割る政治決着によって閉め切り面積は3550haに決定されてしまった。

 締め切られた後、調整池の水質は改善の兆しが見えない。農水省や諌早市はヨシをイカダに植えたり、木炭で水質浄化を計ろうとしたり、合成洗剤の使用を進めている。あげくの果てに諌早市は、借金の財政圧迫度全国一、起債制限率20%をはるか越える公債費負担率33.1%(週間ダイヤモンド5月15日号)という倒産寸前であるにもかかわらず、99年度単年度だけで水質対策費38億3000万円の予算を計上せざるを得なくなった。財政学者の試算によれば公共下水道完備のためには、諌早市だけでも約1000億円の財政負担になるという。

 さらに調整池の水を農業用水として使用することを最初から決定しているため、締め切り2年半が経過しても知事は淡水湖として認定できず、公有水面として海のままで放置されている。今年3月には潮受堤防の内側で大型のスズキが大量に網にかかった。水質対策として、住民が知らない間(夜間)に排水門を開放し海水を入れているとしか考えられないと元漁民はいう。

 昨年から湾外の漁業被害は急速に進んできた。諌早湾の重要水産物であるタイラギ潜水漁業も7年目の休業に追い込まれた。また赤潮・青潮の発生、汚濁した淡水の拡大によるワカメ、アサリ養殖の壊滅などが始まっている。アセスメントでも予測出来なかった小潮満潮時水位が約50cm上昇している。潮汐時間も30分早まっている。被害は島原半島から佐賀県鹿島市、天草にまで及びつつある。

 一方、肝心の水害対策はどうか。これも信用できないことは政府答弁書の水害、高潮対策と潮受堤防の存在は関係ないという回答で明確であり、自然の権利裁判での田村干拓事務所長(元)の証言でも証明されている。特に、市街地の洪水対策には全く無策であることが今年7月23日の諌早豪雨で証明された。

 大見得を切った防災対策を目的とした潮受堤防の総合耐用年数は57年間といわれる。この個に諌早大水害と伊勢湾台風クラスの災害が同時に一度は必ず来ると予想している。こんな大災害は専門家にいわせると100年から500年に一度起こるかどうか分からない確率である。しかもその予想災害規模は、既設堤防が全壊するという予測のもとに立てられ、その損害額を無理に入れ込んで投資効果を1.026と計算している。しかも締め切り後の5月、7月の豪雨の後、本来、数十年前に行っていなければならなかった水害対策用の排水路拡張、浚渫や不必要だといわれた新しい排水機場建設などが行われている。

 それどころではない。防災対策のはずが増災になりつつあるのが現状である。約45kmの既設堤防の各所で締め切り後、不当沈下が始まっている。調整池の水位をマイナス1mに下げた結果である。賛成派が多い森山町の堤防沈下は恐ろしいほどである。諌早市街地で建設省が諌早大水害後造成した水害対策堤防も沈下を始めていて、建設省はそのかさ上げを考えているという。この不等沈下は町中にまで及んでいる。

 干拓本来の目的である営農計画はどうか。営農計画そのものが明確になっていない。県は現在、委員会で検討中である。昨年秋に県は小江干拓地でレタスを栽培し好成績をおさめたと報道したが、これはペテンである。小江は干拓地ではない。ここは潮受堤防を造成するため海底基盤のガタや泥を浚渫したものを大量に捨てた干拓地より数メートル高い埋立地である。だから雨が降ると急速に塩分は地下に抜けて行く。そこを土壌改良して野菜を植えたら成功するのは当たり前である。

 こうした現状を見ている賛成派の中心だった小野島地域の農民の一人は「だれも干拓には賛成していない。ただ声を上げることができないだけだ」と語っている。諌早市の自民党有力議員の一人も、水門開放以外に問題は解決しないとマスコミに発表している。

 長崎県の財政面からもこの事業は完全に破綻している。この事業は土地改良事業法により進められている。そのため投資効果を計算しなければならない。当初予算1350億円の時、災害時に既存堤防がすべて決壊するという予測をたて、極めてずさんな計算で1.026と算出し事業に踏み切った。しかし事業費は膨らむ一方で1996年には2370億円にも達している。その投資効果を財政学者が計算したが0.584と大幅に低下している。

 財政面では長崎県や県民にも莫大な借金を負わせることになった。今でさえ総事業費に占める県民負担額は、すでに県民一人当たり42,000円、四人家族で166,000円になっていると試算している。潮受堤防総工費1540億円のうち県負担が265億円あるが、県はそれを国の財投資金から借りている。当初は2002年から25年払いの予定だったが、今年に入って、それを1999年から15年払いにすることを決定した。利子負担分の軽減が目的だという。この計算で行くと25年払いでは492億円の返済額が15年では367億円。毎年の支払額20億円から24億円に膨らんでいる。

 これで問題は終わりではない。この事業は土地改良事業法によって実施されているため、完成した新たな土地がすべて売れなければ事業完了にはならない。そのため県は第三セクターを設立し、これを買い上げることにならざるを得ないだろう。こうなると1アール当たり約70万円、年利5%の借金を抱え込むことになる。さらに今後造成される内部堤防の建設費の負担も必要になる。まるで借金のアリジゴクである。

 干からびた干潟の水際では、昨年年まれたムツゴロウやカニたちが強かに生き延びている。締め切り2年以上経過したので、干潟はもうお仕舞いかというとそうではない。海水を導入することにより急速に干潟は回復に向かい、調整池の水質も浄化される。漁業資源も少しずつ回復に向かう。これは諌早湾の有明海における位置と干潟環境条件の有利さにある。また、1970年の有明海カドミウム事件の推移からも伺えることである。島原半島漁民はこのまま被害が続くと漁業は壊滅する、水門の開放による一時的な漁業被害については辛抱するという。

 干拓事業をこのまま進めて行くことによって永久に失われる漁業、干潟の浄化作用、環境悪化による地域住民の生活や地域産業へのマイナス効果、エコツーリズムに見られる将来性の高い観光資源の消失、子どもたちの環境・情操教育の場の消滅など、失われるものは金で計算できない。いま、政府や県に求められるのは早急に排水門を開放し海水を入れ、干潟を回復させ、先進諸国の例にならい、干潟と共生し、防災にも効果が上がるような、新たな開発計画に見直すことだろう。このことが実現すると、諌早湾干潟は全世界の注目をあびるエコ・ミュージアムになるだろう。

 知事は9月21日の県議会で「完成は2006年になる」また「事業費は120億円増加し約2490億円になる」と報告した。農水省もこれを認めた。「最大の原因は軟弱な地盤改良に時間や費用がかかることが分かった」という。さらに知事は「もともと2000年度に完成するとは思っていなかった。事業費が膨らむのは当たり前」と記者会見で述べている。これほど国民や県民を愚弄する言葉はないだろう。

 農水省は「国営土地改良事業等再評価実施要綱=時のアセスメント」に従って、専門家を含めた第三者委員会を設置して見直しに入ることになる。この要綱の重要な点は「関係団体の意見を文書により聴取した上で、再評価を行うものとする」という点である。長崎県の主体性が問われている。

 私たちの正念場になる来年度の最大の目標は、「関係団体」の中に私たち自然保護団体も入れるべきであること。さらに第三者委員会に私たちが推薦する学識経験者を入れることである。これがなければ各地のダム見直しの例と同様な結果になることは明らかである。私たちは議員の会と共同歩調をとり、この要求を長崎県、農水省など関係省庁に認めさせなければならない。私たちは、総力を挙げて国、長崎県を追い詰めて行かなければならない。水門開放、干潟回復の正念場が近づいている。水門が開放され、干潟が回復に向かうまでが序盤戦であり、それからが本格的な活動になる。各団体のこれまで以上のご協力をお願いしたい。


イサハヤ干潟通信 1999年11月号より)


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