小野・森山が干拓を望むわけ(4)

沼 礁一郎(地理研究科)

 さて、前回までは小野・森山地域の特殊事情を扱ってきましたが、今回からはしばらく、私たち多くの日本人に共通するある種の思いこみ、さらにそれが小野・森山に落としている影について取り上げてみたいと思います。

 いま、日本の農政は米を中心に運営されていると言っていいでしょう。そして、「米こそが日本人の本当の主食」というのは多くの日本人の常識、或いは信念となっています。

 また、歴史時代の農民が米をあまり食べておらず、雑穀を多く食べてきたことを指して、支配階級の搾取ゆえに雑穀を仕方なく食べてきたのだという論議も多く見かけます。しかし、ここで取り上げてみたいのは、そうした日本人の多くの「常識」は、上からのある種のマインドコントロールによって長い歴史を通じて脳裏に刻み込まれてきた虚像なのではないか、ということなのです。

 なぜこのことを取り上げるのかといいますと、また後程詳しく取り上げますが、現在の日本の食糧自給率の低さは麦と大豆の国産放棄、さらには環境破壊による沿岸漁業の不振に帰せられる面か大きいにも関わらず、「食糧安保」問題が浮上する度に「米を守る」事が最重要課題として取り上げられること、また、小野・森山で半農半漁的な生業に携わってきた人々には海苔やアゲマキの水揚げでしばしば米を上回る収入を得ていたにも関わらず、そうした収入を「所詮は余技なのだから米のためにはあきらめなければならないもの」と、捉えていたと思われるふしか多分に認められることです。

地元の精神構造を分析するとき、私たちは安全地帯で色々とあげつらうだけてあっていいはずはありません。ある場合には私たち自身の血を流すかのごとき分析も必要ではないでしょうか。私たちの多くが「神代の昔から」の日本人の常識と信じて疑わないことの多くが実状に反した形で作られてきたものであるからです。

それでは次回から「作られてきた米信仰」について分析していきたいと思います。


イサハヤ干潟通信第8号より転載*


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