諫早平野の河川堤防や海岸堤防沿いの干拓地には、さりげなく小さな祠が建てられているが、これは龍神様を祭ったものとされる。つまり、干拓地の命は水であり、竜神様は雨を呼ぶからだ。大方の碑に七福神のひとつ、恵比須さんが彫り込まれているが、福徳の神としての意味からであろう。ジュウゴさん、とは龍王さんが訛ったもの、とされる。子供のころ、本明川の河口を土手に沿って歩くとこの祠があり、遊びの集合場所でもあった。

 諫早湾にはかつて、大島、中の島、沖ノ島の三ツ島があったが、大島は昭和22年着工、39年に完成した森山町地先の299ヘクタールの国営干拓地と地続きとなった。写真は、遺された小山の上に祭られているジュウゴさんである。この国営干拓を第一期として、二期は小野、三期は長田という計画があったが、昭和27年に諫早湾l万ヘクタールを締め切る「長崎大干拓」が構想されて以来、地先干拓は影をひそめた。そして、開田抑制策。だが、湾の開発構想は「長崎南部地域総合開発」へと引き継がれ、規模は縮小されたものの今日の問題となった。

 国営干拓地のジュウゴさんは、この有様をどのように眺めておられるだろうか。

 *イサハヤ干潟通信第5号より転載*


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