諌早湾干拓のこれまで
……2004年8月、佐賀地裁が工事中断命令!
九州の有明海にある諌早湾。そこにはかつて広大な干潟が広がり、ムツゴロウをはじめとした豊かな魚介類が生息し、多くの渡り鳥が飛来する「自然の宝庫」でした。諌早湾で育った魚介類は有明海に広がり、有明海は漁業者からも「宝の海」と呼ばれるほどの漁獲高を誇っていたのです。
ところが、1986年に防災と農地造成を目的とした国営諌早湾干拓事業が始まりました。1997年に諌早湾は潮受け堤防で完全に閉め切られ、干潟は干上がり、そこに棲んでいた生物は全滅してしまいました。
その後、2000年末から有明海に大規模な赤潮が発生して養殖ノリが色落ちし、記録的な不作となりました。すでに着工時から、諌早湾や有明海での魚介類の激減が始まっていましたが、このノリ不作で有明海の環境異変は日本中の多くの人が知るところとなったのです。
この対策のために農水省が設置した第三者委員会は、2001年末、潮受け堤防の水門を中・長期にわたって開放し、海水を導入して行う調査を提言しました。ところが農水省は干拓工事を進める一方で、中・長期開門調査の実施を先送りし、2004年5月には調査の見送りを決定しました。
しかし同年8月、「よみがえれ!有明海訴訟」の仮処分決定で、佐賀地裁は諌早湾干拓と有明海の漁業被害に一定の因果関係を認め、干拓工事の中断を命じたのです。
諌早湾干拓は防災と農地造成という事業目的の妥当性や、政・官・業の癒着、国際的な渡り鳥の保護など、さまざまな問題を抱えていますが、ここでは干拓と有明海異変の因果関係を中心に問題点を解説します。
全長約7kmの潮受け堤防(右側が調整池)
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